台湾ランタンフェスティバル 定年おやじのボランティア体験記 楽しかった一般庶民とのふれあい 台湾パワーを垣間見た

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にぎわうランタンフェスティバル。「未来展区」には多数のランタンが展示された。

台北の街を光のアートで彩る「2023台湾燈会在台北(台湾ランタンフェスティバル in 台北2023)」が2月5日から19日まで開催された。このイベントは多数の公募によるボランティアに支えられ、私もボランティアの一人として活動に参加した。申し込みから活動まで体験を報告する。私は65歳の元新聞記者の定年退職おやじ、神奈川県在住、中国能力低である。

奥に見えるのは台北101

 ランタンフェスの起源は、新年最初の満月の夜に提灯(ランタン)を掲げたり花火をあげたりして楽しむ「元宵節(げんしょうせつ)」である。旧暦1月15日のことで、今年は2月5日だ。ランタンフェスは元宵節の前後に開かれる。国を挙げてのイベントとして1990年~2000年は台北市での開催だったが、その後は地方自治体の持ち回りになった。コロナ禍で21年、22年は中止や規模縮小となっていたが、今年は23年ぶりに台北市に戻り、スケールアップした。

音楽にあわせて空にむけて光が放たれる

 展示するランタンは、かつては干支などの形が多かったが、しだいにエンタメ性が高まり、光、映像や音楽を駆使した体験型の現代アートが増え、同時にステージや広場で華やかなパフォーマンスが繰り広げられるようになった。こうしたいわば「光の祭典」は、IT大国である台湾のパワーを誇示しているかのようだ。

 私は2020年の台中で開かれた際、知り合いからボランティアに誘われた。会場の案内所に配属されて本人観光客を案内したり、観光局スタッフにアドバイスをしたりした。一番よかったのは、ボランティア仲間とのたわいのないおしゃべりである。台湾市民とのつきあいは仕事上のつながりに限られ、一般人と接する機会があまりなかった。台中でのボランティアは、同僚たちと会話にスッーと入っていけ、とても楽しかった。

 今回も日本人を案内したりするボランティアをしようと、台北市のボランティア管理のHPから「5日~9日の5日間、時間は午後6時半~10時半」に申し込んだ。初の海外からの外国人の申し込みだったので、市担当者と話し合い、①私のボランティア活動は市の公的記録に残さない、②交通費などは支給しない――という条件で参加が認められた。ちなみに、活動日に専用アプリを組み込んだスマホか、交通系ICカードを端末にかざすと、記録され、交通費などが支給(電子マネーがチャージ)される。私にそうしたことはない。費用支給は1日4時間で、コーヒー店でカフェラテ1杯が飲める程度らしかった。

ボランティアのユニホームである黄ベストを着た筆者(台北市役所で)

 台北ランタンフェスは4つのエリア(会場)があり、市中心部の街全体が会場という雰囲気だった。私は一番広い「未来展区」に配属された。市役所を中心に「台北101」などの高層ビルが立ち並び、ハイセンスな商業区のエリアである。最初に足を踏み入れた時には、高層ビルにはプロジェクションマッピングが映し出され、歩道という歩道がすべて光で飾られ、規模の大きさに圧倒された。しかし、会場を見渡しても一般の日本人観光客が見えない。日本語も聞こえない。それで、会場を見回る仕事に配属された。

 未来展区のボランティアは1日当たり約150人。全員が期間中すべて活動するわけではなく、のべ人数の同区の登録者は650人くらい。ボランティアは子育てが一段落した中高年の女性が多かった。いかにも富裕層の子弟という雰囲気の青年がいたので、聞いてみると、「大学で理数系を学んでいる。このボランティアは家族の勧めで志願した」と言っていた。こうした事情は日本と似ているなあと思えた。

ランタンフェスの「未来展区」のインフォーメーションセンター、黄ベストを着て活動するボランティアたち
自転車をこぐと発電され、高さ6㍍のウサギが動き光を放つ。ここでもボランティア(黄ベストを着ている)が事故のないようチェックしている

 初日の仕事は8人のチームで、中央展区内に設置された7カ所のインフォメーションセンター(服務台)をすべて回り、パンフレットの補充や問題がないかのチェックなど、時にはトイレ休憩(という名目の息抜き)で交代したりした。インフォメーションセンターは正式スタッフ2人、警備員2人、医務員1人とボランティア2人で構成されていた。他にも、多数の客が予想される体験型の展示の前には、ボランティアが置かれて説明や行列の整理などに当たっていて、声をかけて回った。歩いた距離は、私の歩数計では3時間半で約1万6千歩、7、8㌔だろう。未来展区の規模がわかるだろう。

スマホをかざすと、別の世界が見える。スマホにアプリを組み込み、VR(仮想現実)を楽しむ人々

 別の日には、展示品の監視役も務めた。40㍍ほどの歩道に沿って展示された多数のランタン作品を1人で監視した。小さな子どもが作品に手を触れていたので、注意しようとしたが、その前に母親が注意してくれた。歩道に立っていると、約4時間で20人ほどから道を尋ねられたが、近くのインフォメーションセンターを指さして「あそこでもう一度聞いてください」で通した。会場は広く、迷路のようなので答えられなかった。ほとんどの人は納得してくれたが、1人の男性には不親切だとこっぴどく怒られた。

 ボランティアの情報共有はLineのグループで。刻刻といろいろな情報が入ってきた。「インフォメーションセンター6番に迷子が連れてこられた」→「今、迷子の放送した」→「親戚が現れ、確認のうえ、引き渡した」。あるいは、「酔客が女性客を突き飛ばしてけがをさせた」→「すぐに逮捕された」→「45歳の男だ」など。

歩道にも光のアートが

 期間中、4エリア全体でのべ1256万人の来場があったと発表された。私が見るに、来場客は圧倒的に家族連れが多かったと思う。夜遅くまで家族で楽しむ。「一生懸命働き、一生懸命遊ぶ」という台湾パワーを垣間見た気がした。

 私の周囲にいたボランティアの皆は「日本人客がいないのは残念」と口をそろえた。雑談の中で聞いたところによると、直前の昨年11月に激しい戦いになった市長選があり、対外観光宣伝まで手が回らなかったためではないか、ということだった。

ステージや広場で絶えずパフォーマンスが繰り広げられた

 市担当者によると、日本人ボランティアは私一人だけ。3年前の台中でもそうだった。日台間には110を超える姉妹都市などの締結があり、台北市は6都県市と締結しているので、私一人とは意外だった。

 5日間という短い期間だったが、やはり台湾を理解するためには、もっと一般の皆さんとつきあわないといけないと痛感させられた。私にもボランティアが務まったのだから。これから日台ボランティア交流が盛り上がっていってほしい。来年は台南市で開催される。 (草間俊介)